平成27年度入試の最終志願者数が発表されました。新聞等でご覧の方もいらっしゃるかと思いますが、竜洋校の受験生に関連する高校に絞って、見やすい表にまとめなおしました。
2/21の記事(http://ryuyo.blog.jp/archives/1020196851.html)に掲載した表を踏襲しています。どうぞご覧ください。
2015年02月
最初に、少し歴史の話。
江戸時代の終わり、あるいは明治時代の初めに「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」が起こりました。
幕末の勢力図をごく単純化して描くと、薩摩&長州の薩長同盟と徳川幕府が政権の座を争ったと言っていいでしょう。
薩長同盟は、薩摩藩と長州藩の連合体で、明治政府の母体となります。
細かい話は端折りますが、政権が徳川幕府から明治政府に移った後、これに不満を持った幕府の人々が、明治政府と交戦したのが「戊辰戦争」です。
つまり、新政府軍と旧幕府軍の戦い。もちろん、この戦いは、新政府軍が勝利。勝利に貢献した薩摩・長州両藩の人たちが、新政府でも重要な地位を得るのは当然でしょう。
内閣制度ができて、初代総理大臣に選ばれたのは、伊藤博文(いとうひろぶみ)。〔「ひろふみ」ではありません。〕長州藩(山口県)の出身です。この後、長州と薩摩の出身者がかわるがわる総理大臣をつとめます。
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先日、社会で、どうして初期の総理大臣は、一部の藩の出身者が多いのか、理由を答えさせる問題がありました。
ある生徒の答え「旧幕府軍と新幕府軍が戦い、旧幕府軍が勝ったときに活躍した人が薩摩藩とか長州藩に多かったから。」
腰から力が抜けて、崩れ落ちましたね。(文字どおり)。「旧幕府軍が勝つ」「旧幕府軍で薩長が活躍」と立て続けに攻撃されてノックアウトです。
細かい事情はこの際割愛して、とにかく
薩長同盟VS江戸幕府
の図式だけは覚えておいてください。
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